初めて頂いた報酬がいくらか覚えてる?

スポーツ起業家の仕事術

From 宮城哲郎

 

先日、沖縄にあるレストランにスタッフとランチをした。このレストランは沖縄では老舗と呼ばれるレストランで、戦後沖縄のアメリカンテイストを感じさせる雰囲気のあるステーキレストランだ。

 

僕は、このレストランが幼少期の頃から大好きで、事あるごとにそこでリブステーキを食べに行く。値段もリーズナブルで2000円もあればどデカイステーキをたらふく食べられるのも嬉しい。(沖縄はステーキ屋も多く、そして安い)

 

さて、そんな僕のステーキ好きに関する話は置いといて、実は、今日の話のメインはランチを終えた後の出来事がメインとなる。

 

それは、ステーキをがっつり食べて、食後のアイスコーヒーを飲み干し、そして腹一杯になった僕は会計を終えた後の話。

 

すると先に出口で待っていたスタッフが、出口の方で何かを発見したんだ。

 

初めて稼いだお金

 

「どうしたの?何かあるの?」

 

そう僕がスタッフに質問すると、スタッフは壁の方を指さした。すると、そこには額縁に飾られた、「一ドル札」があったんだ。

 

そして、その一ドル札が飾られている額縁には、こう記載されている…

「OUR FIRST DOLLAR

「この1ドルは、私達が初めて頂いた1ドルです。」という感じで書いていたんだ。

 

このレストランは創業して初めてお客様から頂いたお金の現物をずっと保管していて、その時の気持ちを忘れないように、こうして飾っているわけだね?

 

実は戦後の沖縄では、通貨は円ではなく「ドル」だった。一ドルが今でいうと365円ぐらいの価格があったらしいのだが、基本、ドルで沖縄の人達はやり取りをしていた時期があった。(うちの母親が子供の頃までそうだったらしいよ)

 

今ではもちろん普通に円を使って商売をしているのだが、ここに来るまでの長い歴史の中で、いろいろな苦難もあれば、素敵な思い出もあったのは間違いないだろう。

 

レストランの壁に飾られていた「古くなった1ドル」は、そうした歴史の価値を感じさせてくれるんだ。

 

今、飲食会はどこも壊滅的な打撃を受けている。でも、このレストランにとっては戦後の何も無かった時代から何度もこのような危機を乗り越えてきたのだろう。

 

僕は、そんな歴史の重みに対して支払ったステーキ代よりも遥かに、尊い価値のような物を感じた。

 

「ずっと続ける事の価値」

 

これはビジネスをやってる存在としては、とても尊い物だったのだという事に改めて気が付いたというわけだ。。

 

そして、このレストランは最初に頂いた1ドルを、この時の感動や有難みを自分達の原点としてずっと記憶に残しているという事なんだね。

 

僕の初報酬の思い出

 

この出来事を経て、僕は自分が最初に頂いたお金の事を思い出した。

 

確か、あれは僕がブラジルから帰国してきて、サンビスカス沖縄を設立して2ヶ月ぐらいたった頃だと思う。

 

あの頃は、まだサッカースクールを開校する予定も何もなく、とりあえず自分がこれから何をしたいかという事をずっと模索していた時期だった。

 

悩んだ結果、僕が最初に出した答えは、「サッカーを教えよう。」ということだった。

 

ちなみにその当時は、サッカースクールという発想なんてない。そもそもサッカースクールということで、スポーツでお金を頂くという事に対する発想が周りにもない時代だ。

 

それでも、とにかく自分が何かをやろうと考えた時に思いついたのは、やっぱりサッカーだったんだ。

 

当時、僕はこのスポビジ大学の執筆者でもある「宮城亮」さんの事務所で、一緒に仕事をさせてもらっていた。

 

事務所を借りるお金もないので、拠点だけでもという事で置かせてもらっていたのだけど、この事務所がある地域は僕の地元でもシャッター街としても有名で、亮さんの会社以外は、いつ活動しているんだ?という感じの街だった。(他人事の感じですが、僕の地元でもあるww)

 

当然、そんな場所なので治安も良いとは言えない。普通に学校に行く時間帯にも関わらず、学校をサボった小学生がゲームセンターでゲームをして遊んでいるのを見かけるのはしょっちゅう。

 

僕自身、幼い頃から片親で育てられている経験があるので、この時期の過ごし方で将来が大きく決まって来るのも分かっていた。

 

そこで僕は、ゲームセンターで遊び呆けている小学生をスカウトしに行ったんだ。

「なぁ、ゲームも良いけど俺とサッカーしようぜ?」という感じでね。笑

 

最初は、小学生も驚いてたけど、当時から圧倒的な魔王感のある僕を見て、言う事を聞くしかないと思ったのだろう、直ぐに近くの空き地でボールを持って遊んでくれた。(日焼けで色も黒かったし、髪も茶髪でロン毛)

 

でも子供って不思議な物で、こちらが教えた事をどんどんと吸収して行く。そのうち、本気になってしまったようで…。

 

「宮城さん、試合とか出来ないですか?」なんてことを言ってくるわけだ。

 

そこで僕は彼らに提案した。

「じゃ、俺が学校に掛け合ってみるから、君らは明日からちゃんと学校にいけ。それが守れるのなら俺がなんとかする。」

という約束をしたんだよ。

 

その後、僕はすぐに彼らの通っている小学校に電話をした。事情を話すと校長先生がとても理解のある人で、「ぜひ、お会いしたい」ということで返事を頂いた。

 

僕は、翌日、直ぐに学校の方に足を運ぶのだが、校長室で待っていたのは校長先生一人ではなく地域の人たちもいた。(いわゆるPTA)

 

なんか話が大きくなりそうで面倒な感じだなと思ったのが最初の印象。ただ、話を聞いて行くうちに、今回、僕と会いたいという理由がわかってきた。

 

それは、子供達の「居場所」がないことへの危機感だった。

 

年々、減少して行く生徒の数。両親共働きの多い世帯。どうしても学校の時間帯だけでは子供達を見る事が難しい現実。

 

そのような地域ならではの課題をいかにして克服するのかという事への相談だったんだ。

 

幸い、僕もまだ引退したてで知名度だけは残っていた。(だけ、ね。)そして、何よりまだ若いし、まとまった仕事もしていない。笑

そうであれば、、という事で、僕が一肌脱ぐ事になったわけだ。

 

最初の頃は、放課後にボランティアとして、子供達の宿題を見る事から始まった。そして、宿題を終えた後にグランドでみんなでサッカーをした。

 

他の競技の部活動に通っている子は、その部活に通い、そうでない子、、でも家に帰っても誰もいないという子供達は僕と一緒に放課後に残った。

 

グランドも毎日、サッカーで使用できることはない。野球部があったからだ。

 

野球部が練習をしていてグランドが使えない日は、学校にあった算盤を出して算盤教えたり、三味線を出して三味線を弾いたり、理科という名目で近くの森で虫取りしたり、、そんな事をやって過ごしていた。

 

ちなみに、この時はサンビスカスという名前だけは決まっていたのだが、この活動はボランティアなので、サンビスカスの事業という感じも全くなかった。

 

そのうち、そんな僕に気を使って頂いた学校側の方から、行政に申請する事で少しだけど謝礼金としてお支払いすることが出来るという話を頂いた。

 

僕自身、当時は別にボランティアでも良いと思っていただのけど、謝礼金として出せる体制があるのなら、地域の他の人達も巻き込めると思ったので、そうした方が良いという事を伝えたら、早速、動いて頂いた。

 

初めての報酬額

 

そして、ボランティア活動を始めてから1ヶ月後、、僕は初めての報酬を頂く事になる。

 

これまでの活動を報告して、その報告書に「サンビスカス沖縄」という名前を記載するわけだ。

 

そして、頂いた金額は、、、1万5000円。

1回あたり1500円の報酬単価だったので、10回分

今、考えるととんでもなく安い価格だ。

 

だけど報告書を書いて、印鑑を押して、そして封筒でお金を頂いた時の感動は、やっぱりいまだに鮮明に覚えている。

 

少し前まではサッカー選手として報酬を頂いてたわけだから、この価格は決して高くはないかも知れない。

 

しかし選手時代は「自分の為」に働いて稼ぐことが目的だった。でも今回の活動に関しては、初めて「誰か他人の為に働いて稼いだお金」だったわけだ。

 

そうした理由からなのか、なんとも言えない感動と、充実感だった事をいまでも鮮明に覚えている。経理の方から封筒を受け取るときに、感極まって涙が出たのを今でも忘れないし、こういう仕事を一生の仕事にしたいと強く決意したものだ。

 

「将来は日本代表になってW杯に出る」

 

実は、これが僕の人生の夢だった。そして、その為に計画的に逆算して、海外にも行って勝負したけど、残念ながらその夢は叶わずに終わってしまった。

 

正直、選手としてW杯に出られないのであれば、どんな夢を描いても同じ。何をやっても燃えて来ることはない。そんな感覚で、引退後は過ごしていただけに、仕事なんて正直、最初の頃は何でもよかった。

だって、僕の夢は終わってたんだから。

 

でも、この時、そうした次の夢や目標を持てずに足掻いていた僕に、大きな方向性やミッションみたいな物を感じさせてくれた。

それが、「誰かの為に自分の経験を活かそう」ということだったんだ。

 

そこからは、あなたも知っての通り、様々な事業を作り、活動の幅をどんどん広げている感じになるのだけど、やはりその原点は、あの時の1万5000円だ。

 

起業して10年以上経ち、成功も失敗もあり、嬉しい事も、悲しい事も、やり切れない気持ちになった事も本当に多くある。

 

でも、それでも何とかコツコツと前を向いて、目の前の壁を解決していこうという気持ちになるのは、あの時の経験が支えているからだ。間違いない。

 

きっと、これからもそうした苦楽は繰り返すのだろうけど、僕にとっては僕の歩みを止める理由には決してならないだろう。

 

このように、初めて貰った報酬ということへの思い出は、僕の現在の活力にもなる原点になっているんだ。

 

あなたにもあるよね?

さて、ここからはあなたにも思い出して欲しい事だ。

 

あなたが、今日までビジネスをされているのであれば、きっと、僕やステーキレストランのように、「初めてお客さんから頂いた報酬」という物がきっとあるだろう。

 

あの頃というのは、とにかく自分がやった事で相手に感謝されてお金を頂く事だけでも幸せだったはずだ。

生きている実感、必要とされている実感、本当にいろいろな感情があったのだろう。

 

でも、僕らはいつしか、現実問題として、経営を続けていくと決意した瞬間から、このような「お金を貰えているだけで感謝」というマインドでビジネスを進めることが、残念ながらできなくなってくる。

 

きっと、あなたも…。

  • 明日のお客さんを集める為にどうするのか?
  • 利益を残す為にどのような価格にして行くのか?
  • 何度も来店してくれる為に、どんな仕掛けをするのか?

 

そうした事ばっかりを考えているのだろう。

 

これは僕も同じだし、もちろんこの事を無視していけない事も知っている。

 

でも、僕らは人間だ。ずっと数字だけを追って毎日を過ごすことは難しい。数字は正直なんだけど僕らにも感情があるからだ。

 

しかし、その感情というのは時に厄介で、上手くいかない時ほど容赦なく僕らからモチベーションを奪っていく。

そんなシンドイ時期にこそ、こうした「原点」となる経験が後押しをしてくれるんだ。

 

だからこそ、今回の僕の話を聞いた事で、ぜひ、あなたもあなただけの「原点」を振り返る時間を取って欲しいと思う。

 

今、とてもシンドイ状況の中で毎日を過ごしているはずだけど、そのシンドイ状況というのを、あなたの原点の思い出から乗り越えていけるはずなんだ。

 

そして、いつしか、今シンドイ状況が、未来のあなたの「原点」となって力を与えてくれる経験になるかも知れないし、実際、僕はそうだと信じている。

 

自分の好きな事で、大切な人の存在も、理想の収入も得られる力を持ったスポーツ起業家を育成するのは僕のミッションの1つだ。

だからこそ、僕が今あなたに伝えたい事は、たった1つ。

「もしも、今、シンドイ時期であるのなら、最初にお金を頂いた時の事を思い出して欲しい」

これだけだ。

 

あの時、あなたも僕と同じように何かを決意したはず。その当時の強い思いをもう一度思い出して、この難局を一緒に超えていこうではないか!

 

僕は、遠く沖縄からだけどずっとあなたを応援しているよ?

それでは…。

 

PS 初報酬の使い道は??

ちなみに、その1万5000円は、その日の夜にスタッフに焼く肉をおごって、殆ど使い切った。みんなで語って、これからの未来を夜な夜な話したな。今でもその時の思い出が面白くて、この当時のスタッフとは一緒に戦ってるよ。

仲間と経験した苦労とは、数年経つと酒のつまみになる。
 by 宮城哲郎

ぜひ、覚えててww

 

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ABOUT US

宮城哲郎
スポビジ大学主宰。元プロサッカー選手として国内外で活躍した後、「スポーツで街を元気に」を合言葉に一般社団法人サンビスカス沖縄を設立した事をきっかけに事業家としての道を歩む。サンビスカス沖縄を通し年間延べ1万人以上の人にスポーツサービスを提供し、自身の経験から生まれた幼児体育プログラム「アミーゴプログラム」では3万人以上の子供達の発育・発達に役立つプログラムに成長させる。「業績アップが難しい」と言われるスポーツビジネスという分野において数多くの成功事例を出した経験から、スポーツ以外の業種に対してもコンサルティングを行うなど、その活動の幅を広げる中で「もっと多くの人達にスポーツを仕事にする事の喜びを知ってほしい」という思いからスポビジ大学を作り今に至る。他にも「スポーツやスキル系で飯が食える訳が無い」と言われている中で、引退後のスポーツ選手、スポーツトレーナー、インストラクター、治療院、セミナー講師、教育サービス、アパレル系、コンサルタント、コーチング業などの業界で多くの起業家を輩出。その経験や知識を継承するスポーツコンサルタントの育成にも奮闘中。2014年、15年にはFIFA公認国際サッカー東アジア大会へ「琉球代表」として選手兼監督として出場し、見事優勝を飾るなど、スポーツ起業家らしく、実業とスポーツ競技者として異色の活躍をする。支援したスポーツ経営者は1678名(2018年12月現在)と、スポーツ界に旋風を巻き起こしている。