宮城奈津子プロフィール

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こんにちは!スポビジ大学の宮城奈津子と申します。

 

このページでは、私の自己紹介をざっくりお届けしたいと思います。

 

なぜ、超がつくほどの平凡な私が、ここまでこれたのかを赤裸々に語っております。この、私の赤裸裸な過去があなたの背中を押すきっかけになれば幸いです。ぜひ、最後まで読んで下さい。

 

幼少期の私・・・

 

1984年夏生まれ。小さい頃はおとなしい性格でした。三姉妹の末っ子ということもあり、家ではわがままし放題!とにかく甘やかされて育った幼少期だったと思います。

 

父はコインランドリーを経営しており、アメリカから最新の洗濯機を輸入し、日本で店舗を展開していました。当時はまだコインランドリーが普及しておらず、米軍の基地で働いていた父は、基地内のコインランドリーを見て「これは日本でも流行る!」そう実感し、店舗を次々と展開していきました。

 

そんな父を小さい頃から見ていた私たちは、コインランドリーの清掃、集金、自動販売機の補充などといった店舗経営をすでに経験させてもらっていました。梅雨時期の集金は大袋が必要だとか、乾季は小袋だけど自販機が儲かるとか・・・笑

 

しかし、そんな実業家の父の元でぬくぬく育った私ですが、他人とのコミュニケーションをとるのが苦手でした。幼稚園ではいつもひとりぼっち。友達もいませんでした。毎日泣いて園に通っていたのを今でもはっきり覚えています。本当に集団に馴染む事が苦手な性格でした。

 

しかし、中学校に入った頃、バスケット部に入部。それをきっかけに、私は人が変わったように社交的になりました。ほら、バスケット部の子達って、明るいでしょう?そんな環境にいると、自然と私も明るくなれたんですよね。笑

 

それは、高校大学に上がってからも同じ。とにかくクラスでも目立つようなことばかりをしていました。本当に、幼少期の自分が嘘のようでした。

 

 

サンビスカス沖縄の設立に携わる

 

大学を卒業後、スポーツ系の専門学校の講師を務め、その後スポーツクラブのトレーナーとして活動。そんな中、サンビスカス沖縄の立ち上げに携わる事となりました。

 

最初は、トレーナーの活動をしながら、サンビスカスの広報や事務を担当していました。少しでもクラブの役に立てるよう、必死で働いていたいのを覚えています。会場の予約をしたり、お客さんからの電話対応をしたり、行政とのやり取りをしたり、教室のチラシをつくったり、スタッフの給料を数えたり。

 

今思えば、雑用だったかもしれませんが、そんな小さな仕事でもとても楽しく向き合っていました。それは設立時から携わっていたからこそ、自分たちで作り上げていく感が、何よりも楽しかったんだと思います。

 

結婚、そして出産

 

しかし、そんなクラブ設立後、間もなくして私は結婚、出産を経験することに。そのため、あんなにイキイキ働いていたクラブを、一時離れざるを得ませんでした。

 

当時25才。子育てなんて、自分にできるのか?という葛藤ばかりの日々。自分の体の変化に心がついていかず、不安ばかりが押し寄せてきました。

 

一方、クラブは日々変わらず成長を続けています。何ヶ月も現場を離れていた私にとって、なんだか居場所がなくなっていく感があり、勝手に落ち込んでいました。

 

「自分にはもうクラブでの存在価値がないのでは・・・?」

 

今思えばなんてクソダサいことを言っていたんだろうと思います。でも、これは本当に真剣に悩んでいました。現場で指導しているスタッフは、子供達に囲まれ、とてもキラキラしていました。

 

マーケティング・コピーライティングとの出会い

 

子育てでおよそ2年も現場を離れてしまった私には、もう戻る場所がない。そう落ち込んでいた時に、代表の方から「売るためのスキルを身につけてみないか?」そう言われました。

 

あまりにも落ち込んでいた私を見兼ねたのでしょう。一冊のマーケティングの本と、コピーライティングの教材を渡してくれました。

 

これまで、チラシの作成や営業を担当していましたが、正直、満足のいく結果を得たことはありませんでした。でも、何が良くて、何が悪いのか判断もできなかった為、反応がなくても、「まぁこんなもんだろう」くらいにしかおもっていませんでした。

 

「なんとな〜く経営」からの脱却

 

しかし、私がマーケティングやコピーライティングを学んでいく中で、今までなんとなくやっていたことが、全然勉強していなかったんだと気がつきました。

 

チラシひとつにしても、「そりゃ断られるな」と思うような書き方をしていました。営業にしても、興味のない人に対して「押し売り」をしていたので、「そりゃ契約とれないよな」と思うような営業をしていた事に気がついたのです。

 

しかし、実際に自分が実践したわけではなかったので、まだ半信半疑な状態でした。「理屈はわかったけど、そんなにうまくいくはずがない・・・」そう思っていたのです。

 

初めての成功体験

 

そこで、これまで保育園の体育指導の契約を取りに直接営業をしていたのですが、そのマーケティング本に書いてあったように、「興味のある人だけを集める」ことを意識したチラシをつくりました。

 

そして、そのチラシを、直接訪問するのではなく、FAXで送り、興味のある人だけから返事を頂くという形をとったのです。

 

そうすることで、まず直接訪問する労力が減りました。実際方向音痴な私には、直接訪問する事は道に迷うし、時間もかかる。そして忙しそうな中訪問する為、たいてい嫌な顔をされる。笑

 

そんなストレスも、FAX営業ならありません。もうそれだけで目からウロコでした。

 

そして、興味のある人だけを集めるようなメッセージを書き、およそ50園に同時に送りました。すると、間もなくして電話のコールがなりました。

 

「・・・え?まさか、こんなに早く?」

 

そう思っていましたが、私が先ほど送った申込書に記入された用紙が送られてきたのです!

 

そして、その後もひっきりなしにコールが鳴り、なんとその日のうちに17件の申込書が届いたのです。

 

 

あれだけ直接訪問して、嫌な顔されながら断られた営業が。しっかりと相手の欲しいものを掲示し、マーケティングの知識を活用するだけで、驚くほどの反応が得られたのです。

 

 

これが、私の最初の成功体験でした。

 

 

売るスキルを身につけて得られたもの

 

それ以降、よりマーケティングを学び、経営を学び、人間心理を学び、行動心理を学び、ライティングのスキルを学び、私は「売るスキル」を身につけました。

 

そこから、フリーのコピーライターとして事業を立ち上げました。専属のクライアントも最大8社抱え、大金持ち!とまではいかなくとも、生活の心配は一切なくなりました。

 

そして、働く時間を減らしながらも、自分のやりたい事に取り組める。そんな環境を手に入れたのです。

 

もちろん、全てがうまくいったわけではありません。中には、思った以上に反応が出ない時もありました。でもそれでも、改善するための方法も学んだので、次に生かすことができます。すると、だんだんとコツがわかってきて、その失敗もかなり少なくなってきました。

 

今では、「これは100%うまくいく!」という自信はなくとも、「これは100%ポシャるな」という危機感のアンテナだけは発達してきています。笑

 

私にとっての「働きがい」

 

これまで、たくさんのマーケティングの先生、コピーライティングの先生、大手企業を相手にする経営のアドバイザーから、多くの知識を学ばせてもらいました。おそらく、今後もその学びの追求は終わる事はありません。

 

それはもちろん、自社に生かす事もそうですが、私のクライアントに対して、しっかりとしたアドバイスをしなければならないという、ある種の責任感からもきています。

 

ただ、誤解のないようにお伝えしたいのですが、これは無理して学んでいるわけではありません。実際に学んだ事をアウトプットし、成果が出る時ほど、嬉しい事はありません。

 

だって、起業当時、なんの成果も出ない時期でさえ、そして誰でもできる作業でさえ、楽しんでできた仕事ですからね。それだけやりがいのある仕事で、なおかつお客様に喜んでもらい、そして同じ経営をしているクライアントのみなさんと成功体験を共有できる。

 

これほど、働きがいのある仕事はないと、自分では思っています。

 

 

知識差こそ商売の本質

 

きっと、あなたとはまだお会いしたことがないかもしれません。でも、いつの日か、当時の私と同じように、集客に悩み、経営に悩み、そして自分自身の存在価値について、ちょっとでも悩んだ事があるのなら。

 

ここでスポーツビジネスに特化したマーケティングや売るスキル、そして経営の仕方を学んで欲しいと思います。

 

なんの取り柄もない、平凡な体育大卒の私が、何十億も稼ぐ大きな会社の社長に、評価されたんです。(事実)

 

知識差こそ、商売の本質ですからね?^^

だったら、他よりも知識をつけたら、それだけ喜ばれるということなのです。シンプルだと思いませんか?

 

 

スポーツビジネスにおいては、あなたがナンバーワンになれる道がきっとあるはずです。

そんなあなたのお手伝いをすることこそが、私の喜びでもあり、使命感でもあるんです。

 

ぜひ、ここで一緒に学び、成長していきましょう!

 

 

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

スポビジ大学 宮城奈津子

 

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